いよいよ今週末です!
3月2日(金)
東京・中野区の「野方区民ホール」関西からはハンマー・ダルシマー アンサンブル「
Beats of fairy」、そして都内を中心に活躍する実力派の若手デュオ「
ani×
koji」と共演します。
見応え抜群!!のライブになること間違いなしです!!(表) (裏) ← 拡大してチェックできます!
是非、お越しください!
長女も帰ってきていることだし、と近くのカフェに「パフェ」を食べに行った。
学校、保育園組がいない隙に・・・夫婦2人と長女だけで・・・うっしっしっしっし

ここのパフェは美味しくて安く、そしてボリューム満点!
長女を喜ばせようと、連れていったのだが・・・
しばらく待って、その出てきたパフェを前に童心に帰ってしまったその顔を、長女に激写(死語?)されてしまった。

いや~面目ない・・・が、メチャ美味かった。
朝早くに自宅を出て、我が県の県庁所在地「長野市」へ。
長野県は南北に長い。
自宅から県庁に行くまで130キロはある。
(さらにその南北にも広がってます)
午前中から午後にかけて打ち合わせをいくつか、と行政関係の聴講会。
日中、時間が少し空いたので、久しぶりに善光寺を参拝。
前回(いつ?)来た時には施工中だった改修工事が終わっている。

平日なのだが結構、人が多い。
境内を歩いていると、やにわに騒がしい気配がして・・・。
振り返ると本堂の屋根の上方でたくさんの鳩が舞い狂っている。
・・・何かに追われているようだ・・・。
と、本堂の屋根の傾斜の途中で鳩をその鉤爪で押さえつけている鳥に気がつく。
オオタカだ。
すると、今度は編隊を組んで戻ってきた鳩の群れに追われるようにオオタカはその鳩を掴んだまま飛び上がった。
鳩の群れがそれを追う・・・。

・・・ほどなく、オオタカのその爪から空中でまんまと逃れた鳩が羽ばたき始めた。
オオタカは上空高く舞い上がり、鳩の群れにカラスも加わりそれを追いかけていった・・・。

ドバトを獲物に市街地近くでもオオタカが増えている、と聞いていたが、「なるほど!」という場面に出くわし、しかしオオタカもまぁ、中々大変なんだな、と思った。
参拝客の多くはその一連の出来事に気がついてはいなかった。
夜になってから菅平高原へ。
気温が高く、道が凍結してなかったので助かる。
日付をだいぶまたいでから帰宅。
長い一日。
大学に進学して東京で寮生活をしている長女”れお”が春休みで帰ってきた。
下の子どもたちは大喜びである。
この日を指折りかぞえ、こんなメニューまで貼り出されていたのだ・・・。

下3人の子どもたちはもっと小さい頃、ライブ会場で長女にオンブされて演奏中の時間を過ごしているので、第二の母親みたなものなのだ。
久しぶりの家族8人での夕食は、何だか感慨深くて晩酌の量が増えてしまった。
諸先輩方のお話や手記から伺えるのは、家族が皆、全員そろってひとつ屋根の下に暮らす時間というのはホントに僅かな間だということだ。
確かに子どもはあっという間に大きくなっていく。
手間もかかり、カネもかかって、ばたばたと毎日が過ぎていく大変な時期は、過ぎてしまうと本当にあっという間なのだろうなぁ、と想像できる。
そんな束の間をかみしめつつ、日々を平和に過ごしていかれるのはとても幸せなことなのだろうと思う。
結構、人生は長く、そしてまさに光陰矢の如し、なのかもしれない。
子どもたちが独立し、また夫婦2人での静かな生活に戻り、今を懐かしむ日がきっと来るのだと思う。
2月12日、千石正一さんの葬儀に参列。
たくさんの、たくさんの人たちが参列していた。
面識のある・・・あらゆるジャンルの研究者、動物園、水族館関係者、出版関係者、写真家、ミュージシャン・・・。
そしてたくさんの面識のない方々・・・。
焼香は9人横並びで、人の列は延々と続いていた。
焼香を待つ間、斜め前にいた20代前半の男の子がサメザメと泣いていた。
島嶼生態学の権威である大学の先生は隣で何度も涙を拭っている。
それぞれの心の中に千石さんとの思い出が去来しているのだろう。
弔電の最初は秋篠宮殿下からのものであった。
生き物好きで知られ、千石さんの大ファンであったろう殿下の想いが綴られていた。
地球上に生きるモノ言わぬ仲間たちの「代弁者」であらん、としていた千石さん。
触ると感電しそうなカリスマとして生物研究の世界をリードし、マスコミという化け物を手玉にとってお茶の間の人気者となり、動物たちの知られざる素顔の理解の間口を大きく拡げた。
一方では面倒見のよい千石先生として後進の指導にも情熱を傾けた。
また趣味人としての顔も忘れぬ千石さんの傘下には多種多様な人たちが集った。
その千石さんを失なった大きな穴を誰かひとりで埋めるのはとても無理なことだ。
しかし、この葬儀に居合わせた一人一人の心の中に間違いなく千石スピリットが息づいていることを感じることができた。今後、この今は誰かも知らぬ人たちといつかどこかで出会い、千石さんのことを語る日が来るであろう。
それまで自分も千石さんの意志を継いで歩き続けよう。
悲しみにくれた日であったが、これだけたくさんの仲間たちが居ることに大きな希望を感じた日でもあった。
亡くなる直前まで病床で記されていたノートに書かれていた一節。
”天下に何が面白いといって
未だ食わざるものを食い
未だ見ざるものをみるほど
ユカイはない”
地球の行く末を慮っていた千石さん。
「宇宙ってどうなってるんだろなぁ」
「宇宙人ってホントに居るのかなぁ」
と目を輝かせていた。
飽くなき好奇心。
それを知ろうとする情熱と探究心。
それが千石正一さんの身上だった。
「千石さん、三途の川ってホントにありましたか? カメはいませんでした?」
「あの世ってどうなってますか?」
「閻魔大王はどんな顔してるんですか? やっぱ、おっかないですか?」
千石さん、またいつかお話しましょうね!
今夜、東京から長野に戻る高速バスの中、わが町に着く手前で携帯電話が何度も鳴った。登録のない東海地方・・・らしき固定番号からであった。
まだバス内だったので出られずにいると、今度は友人の携帯番号で再びコールが。
"T” 水族館に勤務する友人の番号だった・・・。
瞬時に「あっ・・・・!!」と察した。
バスを降りてすぐにコール・バックすると、案の定
、闘病中だった千石さんの訃報だった。
自宅に帰りつく前に、数日前に東京で会った映像プロデューサーからまた電話が入る。千石さん関係の企画の打ち合わせをしたばかりだった・・・。
自宅について縁のあった友人、知人の何人かに訃報を知らせる。
覚悟はしていたけれど、この時が来てしまったなあ・・・。
・・・千石さん、今まで有難うございました。
合掌。
愛車ノアの走行距離が24万キロを越えた。
このクルマを導入して10年目になるが、多少オイルを喰うようになってきたものの全く調子は良い。
そして、平成10年式のライトエース・ノア(4WD・グレード:G)は実際にこんだけ走れますよ!と身を持って証明できたわけだ。
長らく、この距離まで1台のクルマを使用できるとは思っていなかったし、「10万走ったらクルマは寿命ですよ!」というクルマ屋さんの常套句を信じていた。
これと平行して夏場専門に6年間、乗っていたN社のワゴン車はその頃、クルマに導入され始めたミッション・システムが10万キロを越えたところで壊れて、リビルド品と載せ変えるのに30万エン掛かると当然のように云われた。
値段も値段だが、通常使用だけで10万キロで壊れるミッションだと、また10万キロ走ったら30万エンかい・・・!?
何より一番がっかりしたのは、命を乗せて走るものを造っている自覚も気概も責任感も全く感じられない姿勢だった。
いつも亀工房のツアーのハードな移動スケジュールを支えているのは、このクルマの貢献が大きい。
いつも有難う!ノア!300km/hまで刻まれたメーターより、このオドメーターの方が価値がある。