カナダの友人ギタリスト「ドン・ロス」の友人ギタリスト「
アンディ・マッキー」が現在、来日ツアー中で、昨夜は甲府「ハーパーズ・ミル」に彼の公演を観に行ってきました。
アンディはアメリカ・カンザス出身、まだ20代の若手フィンガースタイル・ギタリストです。
インターネットの動画サイト「You tube」で彼の演奏動画はトータルで何と
1500万アクセス!を誇り大ブレイク中、世界各地でライブ活動をしております。
そんな世界レベルで今、ホットな彼の音楽を体験するのをとても楽しみにしておりました。
アンディのステージですが、音作りとしては、音量は小さめ(僕は前の方の席だったので、生音もよく聞こえました)、リヴァーブも基本的に薄くかける程度です。
演奏は勿論、素晴らしいのですが、何より彼の楽曲が素晴らしくとてもナチュラルなグルーブを持っていました。
聴いていく内、ステージ後半では自然とカラダが揺れてきます。盟友ドン・ロスの影響を感じさせるものの、その中に確かなアンディ自身の音楽的なパーソナリティを感じました。
アーティストの評価はともすると、その人が楽器弾きの場合、「演奏」そのものにファーカスされてしまいがちですが、その人(または人達)がその人の中にどんな「音楽」が宿しているか、がとても大事なことだと僕は思っています。
終演後、アンディに自己紹介すると
「ハイ、カツノリ! ドンからキミの事を聞いてるよ」と、すぐに色々な話をすることができました。
素顔の彼は、とても素直な好青年でした。

その後は、「ハーパーズ・ミル」のオーナー坂田さんご夫妻や円熟のステージングを披露した今回のアンディの日本ツアーの招聘元であるギタリスト「住出勝則」さんを交えた打ち上げに参加させて頂きました。
なんと、偶然にも山梨時代の知り合いも数人居合わせ、亀工房のエンジニアをお願いする「ロクさん」までひょっこりとやってきて、とても楽しい時間でした。
何より、いつも亀工房のステージ上では伴奏ギタリストの僕ですが、元々は「フィンガースタイル・ソロギター」を志していた身。
長年の念願である「ソロ・ギターアルバム」を完成させなければ!と強く思いました。
Thanks Andy! for your great music.
「いつでも大歓迎だよ!」という有り難いジムの言葉に送られ、吉和ICから中国道へ。
三次ICまで走り、国道54号を出雲方面へ。
中国山地の山間を走る快適な道をドライブして夕闇迫る「出雲大社」に到着。
昨年、亀工房が奉納演奏をさせて頂いた、この神々の出る場所に3年連続でやって来れました。
この大きな締め縄は
5トンあるそうです。

この8/9の晩は「夜祭(やさい)」があり、各地に散らばった神様たちが出雲に帰ってくる日だそうです。
拝殿で説法を聞いた後、普段は立ち入れない本殿に入り、お庭をぐるりと一周する「御庭踏」をして、宮司さんの祝詞に合わせて、拝観者は渡された鈴を鳴らします。
とても幻想的な儀式でした。
広島滞在中は旧友のジムの家にお世話になりました。
ジムとは15年前に山梨で1年間一緒に働いていました。
アメリカのケンタッキー出身の彼とは、僕が彼の故郷近くの町にその昔しばらく滞在していた事もあり、ローカルな話(特にその辺に棲んでいるカメの(笑))で盛り上がり、やんちゃ盛りの彼と少し年長の僕は気が合っていました。

彼はその後、日本の大学院で学び、ALTとしてしばらく日本に滞在し、一度はアメリカに帰って、現地の日系企業で日本語を生かして重要なポストで働いていました。しかし激務が祟って体調を崩したのをキッカケに退職し、去年再び日本にやってきたのです。
今は日本人の奥さんと2人の子どもさんと広島の山間地で暮らしています。
ジムの家のすぐ前を流れる川はとても綺麗!魚もたくさん居ます。
関西版アブラハヤのタカハヤがたくさん、オオサンショウウオも居るそうです。
すぐ近くで分岐した川の一方は日本海へ、一方は瀬戸内海に行きます。

10年振りに再会したジムは少し歳を召した感じがしました。(Sorry,jim !)
それだけ自分も歳をとっているんだよな~、と実感。
毎晩遅くまで色々な話をしました。
古き良き友との再会は、自分の人生を再認識する良き時間でした。

原爆死没者慰霊碑。
その向こうに、平和の灯と原爆ドームが見えます。

原爆ドームにも行ってみました。
崩落したままのドームの中には、まだおびただしい量の瓦礫が残っていて、まるで時間が止まっているようでした。
62年前の同じ頃、正にこの上空で原子爆弾が炸裂したのだな、と思い空を仰ぎました。
被爆10年後に、原爆後障害で亡くなった「佐々木偵子さん」をモデルにした「原爆の子の像」。
その下には全国から送られたたくさんの千羽鶴が飾られていました。
「SADAKO」の話は海外でも知られていて、アメリカのFred Smallというソングライターが書いた「Cranes over Hiroshima」という名曲があります。
その中の一節に、この像の碑文が織り込まれています。
「This is our cry, This is our prayer, Peace in the World」
これまで何度か移動中に通過したことがありましたが、ゆっくりと訪問するのは初めての広島です。8/8に広島市の平和記念公園を訪れました。
写真は「広島平和記念資料館」の前から撮ったもの、正面に原爆ドームが見えます。

この日は8月6日の原爆記念日の翌々日のためか、たくさんの人が資料館を訪れていました。
資料館の展示物の説明を、皆がひとつひとつ読みながら進むので、館内を全て見学するのにだいぶ時間が掛かりました。この時期に来ている方々なので、関心の高い方々なのでしょう。
原爆被害の壮絶な事実を間の当たりにするのもそうですが、何よりも悲しさを感じたのが、学徒動員で駆出され、爆心地の原爆ドーム付近で被爆して亡くなった今の中学生くらいの子どもたちの遺品の数々です。
身に着けていたという衣服はまだ血痕が残り、被爆時の凄惨さを物語っていました。
そしてどの衣服も今の中学生が身に着けるにはだいぶ小さく、当時の中学生の様子が伺い知れました。
大混乱の中、原爆ドームに自分の子どもを捜しに来て、変わり果てた自分の子どもと対面する親御さんたちの様子も記されていました。
あるお父さんが、大やけどを追った自分の息子さんを探し当てました。顔がわからないほどの大やけどを負っていたのですが、声は間違いなく自分の息子さんだったそうです。
大変なケガを負ったが、生きていた。 よかった。
「さぁ、家へ帰ろう」
と自転車の後ろに乗せると、親御さんに会えて家に帰れる安堵感からか、息子さんはその場で息を引き取ったそうです。
そんな記述がお父さんの言葉で淡々と書かれていました。
昭和20年
8月6日
8時15分
に止まったままの時計
島根~山口にかけての地域では家屋の屋根が、赤い瓦で葺かれていることが多いようです。瀬戸内海側はかわりませんが、広島も山間部はそうでした。
沖縄の家屋の赤瓦とは違って、ツヤツヤしてます。

これが山間のグラデーション・グリーンに溶け込んで、情緒ある風景を醸し出していました。こういった何て事のない、でも楽しい発見も、その場に行って見て!こそです。
その翌日(8/7)は有名なカルスト台地「秋吉台」にある日本一の鍾乳洞「秋芳洞」へ。
駐車場から入り口近くまで、両側にズラッと並ぶお土産物屋さん。
それを過ぎると、ゲートがあってお金を払います。(大人1200円・小人600円)
そして川沿いの木立の間のも木道を進むと、秋芳洞の入り口が口を空けています。
中は外界の暑さがウソのようにヒンヤリ!
それもその筈、洞内の温度は年間を通して17℃。
夏涼しく、冬温かいのです。
季節柄、たくさんの観光客の方が薄暗いトンネルの中を歩いています。
天井にはコウモリの群れ。
秋芳洞自体の総延長は10キロあるのですが、観光のコースは約1キロ。
往復はゆっくり歩いても1時間程度です。

「百枚皿」

「黄金柱」
夕刻、「萩」の町に到着です。
丁度、このツアー前に小山ゆうの「お~い!竜馬」を読んでいて、長州藩とその登場人物ゆかりの地があったりして、とても興味深かったです。
「萩」は海に面した、とても趣きのある町です。
まずは、萩城の跡へ。
何故まずここに来たかというと、この堀にカメがたくさん居る、と聞いていたからです。
なるほど、居ました居ました。

クサガメとアカミミガメですが、これは翌日行なった秋吉台周辺でのカメ調査の結果と併せて、ある意味、貴重な知見です。
そして街中には有名な「萩焼き」の窯元があり、大きな登り窯が。
窯元の建物の壁には、埴輪のオブジェが施されておりました。
三隅町のコンサート会場、「中国電力 三隅発電所ホール」のすぐ裏は、小さな漁港になっています。
岸壁の壁際には小さな魚がたくさん、その中には小さなフグがたくさん居て、手網で捕まえようとするも、網の陰が水面に写った途端、それまでの鈍臭そうな動きは芝居か!
というくらい
シュン!と深みへ消えます。

三隅町から国道9号を通って、益田を過ぎて191号線を山口県に向かう途中、
いたーーーーーーーーーーーー!!!
亀好きには堪らない、「道路横断亀」(笑)

という種名ではなく、
ニホンイシガメです。
亀の多い地方では、道路を横断しているカメをたまに見掛けます。
R191も結構な道路ですが渡ってました。
当然、道路横断中にクルマに轢かれてしまうカメも・・・。
路肩に緊急停車して、即身柄を確保。
歳を重ねた立派な♀です。
背中に大きなヒルが2匹付いています。
カメの向かっていた方向の田圃に逃がしてあげました。
見知らぬ土地でも、お馴染みの生き物に出会うとそこがすごく身近に感じられ、後々まで残る良き旅の思い出になります。
(つづく)
ツアー最初の訪問地、島根県三隅町までは長野の自宅から一気に移動しました。
その距離、約760キロでした。(コーソクで13時間!掛かりました)
昨年9月と同様に、骨髄移植推進財団の活動キャンペーンに併せて、みすみチャリティーライブ実行委員会の皆さんに主催して頂いて中国電力のホールでのコンサート。
またまた暖かいお客様に迎えられての楽しいひとときでした。
そしてその晩は、丁度この地方で盛んな「神楽」のある日でした。
さすが神話の舞台の土地です。
浜辺の特設ステージが会場です。
演目がいくつかあって、下の写真は「えびす」。
飴を投げるので、舞台前に子ども達が集まってます。

お囃子の人の背中に注目!、汗でびっしょり!です。
それもその筈、結構長い一幕の間、同じビート(調子?)を延々叩き続けるのですから!
この辺りは、文化は違えどロック・バンドやジャズ・バンドのドラムスに通ずるものがありますね。

お決まりのトリが「大蛇(おろち)」だそうで、
スサノオノミコトと4匹の大蛇の戦いです。

石見地方にはたくさんの神楽の社中(チーム)があり、
決まった演目の中で、それぞれの個性を生かした演出、表現でしのぎを削り、外国に公演に呼ばれる事もしばしばのようです。
衣装も高いものは、数百万円!とたいへん高価です。

この晩も宿泊先のホテルのある地区で、夜半から翌朝にかけて神楽を演じる社中があり、ここは遠くから「追っかけ」が多く来るほどの人気を誇るそうで、帰りがけのクルマから見ると、多くの人が取り囲んだ舞殿は、照明の色も相まって誠に神秘的でした。
同じホテルに泊まった若い人が、朝6時過ぎの最後まで見届けたようですが、
夏の晩に眠気と覚醒の合間で観る神楽は、夢か、誠か、さぞ幻想的だったでしょう。